線表と直線の時間観

無能なプロジェクトマネージャーは、線表ほど大事なものはないとヒステリックに叫ぶ。ああ、確かに大事だよ、だから、それがちゃんと進むように、リソースを適切に配置するために、あんたがいるんだよ。
それはそれとして、線表のプレッシャーで死のうなどと思わないために、線表なんてもものは、考え方のひとつ、物事の捉え方のひとつの方法に過ぎないということを覚えておきたい。
時間は、どこから来るの?、あるいはどこに行くの?は、時代や民族によって考え方が違う。俺なんかだと、前が明日で、昨日は後ろだ。たぶん多くの日本人がそうじゃないのかな?けど、西欧的な、たとえばギリシャのクロノスの神話だと、時間は、後ろから追いかけてくる怪物だw 時間を川の流れに例える表現も多くみられる。共通するのは、時間を直線と考えるという点だ。線表は、この捉え方を大前提としている。だが、時間が直線であるなんて考え方だけが、唯一無二の考え方じゃない。時間は循環する、時は巡る、輪廻するという考え方を持つ民族や文化もあるのだ。
比較文化人類学では、時間を直線で考えることで、自然をも制御可能という発想につながったとか主張する学者もいる。
いいか、忘れるな。線表は、その仕事の上では大事な憲法かもしれないが、君の人生と引き換えするほどの価値なんかないぞ。

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